第一章 <誘い>

21世紀の末。
枯渇してゆく資源、人口の増加、温暖化を始めとする数々の環境問題……。
全世紀からの問題は、更に大きな問題となって我々の世代へと受け継がれようとしていた。

先の見えない暗闇へと転がりゆく人類は、藁をも掴む想いで、古来より人が直感のうちに感じ取っていた未知のエネルギーに、文明転換の光明を見い出す。

「それ」は、確かに我々のすぐ傍に存在していた。我々は、それをただ見ようとしなかっただけなのだ。

『PSI(魂を表すギリシャ文字:Ψより)』と名づけられた「それ」は、時空間を超越して存在する情報素子であり、多次元時空間『インナースペース』から、この4次元(3次元+時間)の『現象界』において、様々な物理現象となって『現象化』する。

この『PSI』を『現象界』にエネルギーや物質へと変換するテクノロジーが開発されると、世界は新たなる『PSI文明』期と呼ばれる新たな時代への歩みを始めた。

それから約半世紀、22世紀の半ば。

『PSI文明』は、今や隆盛を極めていた。

しかし、光あるところに陰は生まれる。

『万能の文明』と言われる『PSI文明』もまた、例外ではない……

『PSI』の過剰利用による天変地異、異常現象の発生、そして人々の心身を脅かす、謎多き『PSIシンドローム』……これらの脅威に我々人類はまだ、有力な解決の手立てを持たなかった。

国連の下部機関で、日本海沿岸、鳥海山の麓に本部を置く、我ら『PSI災害研究機関(通称IN−PSID(インサイド):Institute of PSI Disaster)』は、『PSI現象化』による災害の出どころとなる『インナースペース』に直接アプローチできる余剰次元有人探索活動艇『PSI クラフト』<アマテラス>の開発に成功。そして、この船のクルーとなる『インナーノーツ』を結成していた。

『インナーノーツ』に抜擢された若きクルーは五人。

隊長、カミラ・キャリー。卓越した判断力と、時に大胆な決断力を持つ女性隊長。

船内メカニック、情報分析を兼任する副長、アラン・フォール。常に冷静な分析眼で、カミラを支える寡黙な男。

<アマテラス>の耳目を司る、メンバー最年少にしてムードメーカー的存在、レーダー手、サニ・マティーニ。

<アマテラス>の舵を担う、メインパイロット、ティム・フロウラー。飄々とした性格ながら、要領を得るのが得意なようだ。

そして、<アマテラス>の各種装備を担当する、コ・パイロット、風間直人。心に不安定な要素を抱えながらも、無意識の活動レベルは未知数であり、<アマテラス>の基幹システム、『PSI-Linkシステム』との親和性は他の追従を許さない。『インナーノーツ』が臨む、『インナーミッション』は、彼の能力こそが成否の鍵を握ると、私は確信している。

我々は<アマテラス>最終テストとなる有人起動試験へと臨んでいた。このテストをクリアすれば、未だ解明が進まない『PSI災害:PSID』の解消にも希望が持てるであろう。

『インナーミッション』を再現したテストは<アマテラス>乗員の心身に強力な負荷をもたらす過酷な試験だ。

インナーノーツは、心身に訪れる不可思議な感覚に耐えながら、試験最終局面を迎える。

だがその時……我々も想定しえなかった異常事態が発生。<アマテラス>とインナーノーツを失いかねない状況に陥る。

テストデータを失いながらも、何とか<アマテラス>とインナーノーツを帰還させる事ができたが、この事態は、我々に「インナーミッション」の危険性を再認識させるに十分であった。

「インナーミッション」とは「あの世」へと一時的に渡る過酷なミッション……言ってみれば「死の世界」へと生きたまま片足を突っ込むようなもの。一歩間違えれば、即、死なのだ……。

テストとはいえ、7〜8次元相当の次元跳躍をしていたと見られる<アマテラス>。その心身負荷に耐えかねたインナーノーツの中で、直人だけが何とか意識を取り戻し、<アマテラス>を帰還へと導いた。その際に、彼はいったい何を見たのか……。

帰還後、彼にヒアリングしたところによれば、荒波の中で、何者かの声を聞いた事、それが彼の意識を呼び覚ました事……そして、何匹もの蛇がまぐわうような光の渦の中に、幾重にも重なり振動する球体……地球のような球体を見たという……彼の見聞きしたものの意味するところは、今は何もわかっていない。

<アマテラス>が辛くも帰還し、所内がごった返していた同じ頃、所内の別の場所で、また思いがけない事態が発生していた。

IN-PSIDの地下、PSI最重要管理区で保護している「亜夢」と呼ばれる少女にもまた異変が起こっていたのである。

彼女は、いくつかのPSIシンドローム発症者受け入れ施設を経た後、五年前、IN-PSIDに受け入れた謎多き少女であり、この五年間、亜夢はずっと「眠り」続けていた。

PSIシンドロームの他への強い影響を封じ込める『結界水槽』の中で、一度も目を覚ます事なく眠り続けていた亜夢。我々の間では彼女を『眠り姫』と呼び習わしていたが、その『眠り姫』が突然、覚醒の兆候を見せ始めたのである。

5年もの眠りから目覚める……それだけなら喜ばしいことであったが、彼女の覚醒は明らかに異常を伴っていた。

『サイキッカー』。端的にいえば超能力者である。PSIシンドロームと共にその存在が、明らかにされてきたが、彼女は、まさに『サイキッカー』の能力を持ち合わせていた。

その彼女が、5年間の眠りと共に、抑圧された無意識のエネルギーを解放しようとしている。それが亜夢の目覚めの本質だった。

高い能力者である彼女が、何にもコントロールされないエネルギーを発散するとなれば、彼女自身の心身を破壊し、更には我々のIN-PSIDだけではなく、周辺一帯にも被害を出しかねない……

この状況を解決できるのは、もはや「インナーミッション」のみ。

亜夢の覚醒が進む切迫した状況下、私は昨日の試験から突貫で復旧させた<アマテラス>と、インナーノーツを彼女の心の中へと送り込むことを決意する。

そう、非物質世界の『インナースペース』は精神と魂の源の世界でもあるのだ。

インナーノーツを乗せた<アマテラス>は、時空の壁を越え、インナースペースへと旅立つ。

インナーノーツは、亜夢の海底活火山が噴煙を撒き散らす、カタストロフィを描く心象世界を探索していくうちに、意識直下の表層無意識域を更なる深層無意識が侵食しようとしている、奇妙な内面構造になっている事に気づく。

亜夢の異常覚醒を鎮静化するには、その深層無意識の活動を制するより他にない。

だが、亜夢の深層無意識は、表層無意識と同調しながら活動する<アマテラス>にも襲いかかってくる。
IN-PSIDの技術統括部長アルベルトの発案により、即席で拵えたシールドで、その攻撃から身を護りながら、<アマテラス>は深層無意識の核となる存在へと押し迫った。

深層無意識の更に高次の次元である『集合無意識』から無尽蔵のエネルギーを灼熱の炎として身に纏う、胎児のようなその存在……

四大精霊の一つとされる『サラマンダー』を彷彿とさせるその存在は、喉元に迫った<アマテラス>を滅すべき敵と認識したのか、激しく攻め立ててくる。

その攻撃を掻い潜り、<アマテラス>は渾身のPSIブラスターの一撃で、『サラマンダー』の鎮圧に成功。亜夢は、インナーノーツの働きにより、無事に覚醒するに至ったのである。

それから一週間。

インナーノーツは、訓練を兼ね、インナースペースの調査ミッションを重ねていた。現象界は穏やかながら、インナースペースは、『PSI』の過剰利用が要因の一つと考えられている、20年前の『世界同時多発地震』直前と同様の様相をしめし始めていることを彼らの調査が明らかにした。

インナースペースは全てが可能性であり、この世に具現化する全ての要素を含んだ、所謂『カオス』の世界。かつての災害と同規模、いやそれ以上のものがこの世に現れるのか、今はまだ定かではない……

だが、私は、彼らの持ち帰った調査結果に底知れぬ危惧を禁じえぬ。ただ、その時が来ようと来まいと、出来うる限りの備えを整える。それが我々にできる唯一のことなのだ……。

一方、私の古巣、全日本PSI開発推進機構(Japan PSI-development and Initiatives Organization 通称:JPSIO)の理事長を務める旧友であり、直人の実の祖父にあたる、風間勇人から急な申し入れを受ける。彼らの新たな医療事業に携わる医師を一人、IN-PSIDの附属病院で研修させてほしいという。JPSIOとは、袂を別ったとはいえ、陰ながら我々を支援してくれた彼の頼みを無碍にはできぬ。病院の院長を務める妻、貴美子の便宜で、その医師を受け入れることとなった。

彼の名は神取司という。
私は、彼とはまだ面識が無いが、貴美子が言うには、大変有能な医師らしい。人手不足の病院にとっても、勇人の申し入れは良い話だったようだ。

※※※※

この一週間、亜夢の症状は回復に向かうかに見えた。だが、彼女の容態は急変、再び昏睡状態に陥る。貴美子の見立てでは、今度の昏睡は、二度と目覚めることのない永遠の眠りに繋がるという。

我々は、亜夢を救うべく、再びインナーノーツを亜夢の心象世界へと送り込む。

前回のミッションで鎮静化させた『サラマンダー』の気質を持つ存在……それは、彼女の生きようとする意識そのものであり、彼女の「インナーチャイルド」と呼ぶべき存在であったのだ。いわば彼女の半身ともいえる存在を失いかけた亜夢の肉体は、生きる活力を刻一刻と失いつつあったのである。

前回のミッションにより「インナーチャイルド」は、魂が個として形作られる次元を超えた「集合無意識」との領域で、魂の形質を失いつつ彷徨っていると踏み、再びその魂を現象界の肉体へと引き戻す「サルベージ」作戦を開始する。

前回ミッションとは打って変わり、静寂に満ちた、深海のような心象世界の中、想定よりも順調に進むかに見えたミッションであったが、引き上げられた「インナーチャイルド」の気配に、亜夢の心象世界は蠢き出す。

心象世界の変動が亜夢の心が感知しない次元断層を生み出すと、「インナーチャイルド」と<アマテラス>はその次元の狭間へと落ちていく。

ミッションを現象界から管制する「IMC:Inner Mission Control Center(インナーミッション管制室)」にも、絶望感が漂う。

だが、私は彼らを諦められなかった……
いや、諦めるわけにはいかなかった。

『あの時』のようなことは二度と……

その想いが、彼らを救出する方法のヒントをもたらす。だが、それには同時にインナーノーツらにも、諦めず、必ず生きて帰るという想いが必要だった。

お互い通信も取れない状況ではあったが、インナーノーツは、IMC(こちら)からある方法で示した、脱出方法の意図を汲み、<アマテラス>はインナーチャイルドと共に、何とか表層無意識領域へと浮上する。

<アマテラス>が戻った表層無意識の心象世界は、先ほどまでの静寂に満ちた海底ではない。暴風と高波の荒れ狂う嵐の海……。

次元断層から二つに分裂した亜夢の心。

一方の生命力に溢れた「インナーチャイルド」は<アマテラス>と一体となり、もう一方は、嵐の海から海水を巻きあげる爆弾低気圧となって、巨大な積乱雲の雲柱を紡ぎ出していた。

亜夢の命を繋ぐには、「インナーチャイルド」、いや、むしろ亜夢の本質的な魂「セルフ」と呼ぶべき存在を肉体へと届ける必要がある。

亜夢の「セルフ」を肉体へと送り届ける時空間座標は、爆弾低気圧の中心を指している。<アマテラス>は、巨大な積乱雲で覆われたその中心へと飛び込まなければならない。

積乱雲内へのアプローチへの危険は未知数。

低気圧に巻き上げられつつある海中からの接近のみが唯一、比較的安全に積乱雲の中心へ抜ける道と判断し、船を進める。

爆弾低気圧に引き寄せられる海流は、時空間が入り乱れ、辛うじて航行可能ながら危険かつ、時間軸が不安定な航路だ。インナーノーツらは各々の技量を最大限活かし、困難な海流を乗り切り、ついに低気圧の中心へと<アマテラス>を導く。

晴れ渡る低気圧の中心は、ここが亜夢の心の中であることを忘れ去る程の、大自然の営みの如き世界が広がる。

その頭上遥か、天頂の太陽の如く輝く時空変異場。それこそが、『セルフ』を送り届けるべき、亜夢の肉体との再結の場……。

その場を目前に、<アマテラス>に立ちはだかる存在が姿を現す。

亜夢の表層無意識を支配し、『セルフ』を深層無意識へと追いやっていた、もう一つの魂。

私はその存在に、『サラマンダー』とは対局を成す、水の精霊『メルジーネ』の気質を見る。

亜夢の心は、生命の灯火を燃え上がらせる『サラマンダー』と、全てを浄化し、無へと回帰させようとする『メルジーネ』、この二つの相反する気質の葛藤こそがその本質だったのだ。

『メルジーネ』は、あらゆるものに浸透してゆく水の如く、<アマテラス>のPSI-Linkシステムに侵入し、<アマテラス>の機能とインナーノーツの意識を尽く奪ってゆく。

『サラマンダー』の生命の炎も、もはや風前の灯……。

だが、これは『サラマンダー』つまり、生命の炎が、不易不壊の自己『セルフ』へと昇華しようとする、まさにその時、試練となって訪れる『メルジーネの働き』に他ならない。

この『メルジーネ』の試練を越えねば、亜夢の命は永久に戻ることはないのだ。

再び<アマテラス>通信が途絶えた状況下、我々IMCの一同は、全てをインナーノーツに託す他なかった。

この状況下で何があったかは定かではない。
<アマテラス>のレコーダーには、『メルジーネ』にシステムを掌握された中で、唯一、直人の精神活動だけが微かに記録されていた。

のちに直人の口から語られた内容も、断片的ではあったが、この時、彼は、亜夢の二つの意識をはっきりと認識していたようだ。

直人は『メルジーネ』と我々が認識していた片方の存在と無意識下で接触。そこで何があったのか……直人の証言は曖昧だが、兎にも角にも『メルジーネ』は、亜夢の『セルフ』であるもう片方の存在を受け入れ始めたという。

意識を取り戻したインナーノーツらは、一時的にこの二つの存在の依代となった<アマテラス>から、『彼女達』を亜夢の肉体へと送り届けるべく、最後の作戦を決行する。

『彼女達』の魂をシールドを応用したエネルギー弾に乗せ、肉体へと打ち込む。

切迫する状況下、直人が発案した作戦にインナーノーツは全てを賭けた。

のちの報告や記録を見る限り、不安定な時空変異場の中で、それを成功させるのは至難の業であったことは想像に難くない。だが、インナーノーツらは、各々の持てる力を出し切り、それを成し遂げる。

IMCには、肉体に魂が戻った亜夢の慟哭が響き渡っていた。それは、長き眠りからようやく解き放たれ、新たな人生を歩み出す彼女の産声……。

そう、亜夢は今、再び『この世』に生まれてきたのだ。

〜〜国際PSI災害研究機関IN-PSID
本部所長 藤川弘蔵手記より〜〜

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